宗教と教育の現場に起きた“あの日”——真珠湾攻撃の日の記憶から今を考える

株式会社22世紀アート

2025.12.02 15:05

12月8日は、日本軍が真珠湾を奇襲した日として知られ、社会が急速に戦時体制へ傾いた時期でもあります。『荒野を深く耕せば――続・落ち穂ひろいの後:大坂欣哉人生ノート』には、著者大坂欣哉(おおさか・きんや)氏の周辺から見つめた、戦争の記録が書かれています。今年85歳となる同氏が目の当たりにした“あの時代”を手がかりに、戦争を語り継ぐ声が少なくなる今、改めて真珠湾攻撃の日を見つめ直します。

真珠湾攻撃の日、学校長が宣教師を教壇から引き下ろした

12月8日は、日本軍が真珠湾を奇襲した日として知られています。

当時の社会は急速に戦時体制に傾き、宗教や教育の現場にもその影響が及びつつありました。

その様子は大坂欣哉氏の書籍『荒野を深く耕せば――続・落ち穂ひろいの後:大坂欣哉人生ノート』の「Ⅲ.戦時下を生きて」でも描かれています。

こちらは、仙台基督教育児院で共に過ごされた大坂氏の姉・多恵子さんの体験です。

 

昭和16年12月8日・真珠湾攻撃の日のことである。宣教師の先生が授業をしている教室に当時の学校長が入って来て教壇から宣教師を引き下ろしたのである。

 

のちに多恵子さんは「この出来事が、あの戦争で一番辛かった」と語っていたそうです。

 

 

大坂欣哉氏プロフィール

 

〇1940年1月22日、仙台市原町小田原字新堤の仙臺基督教育児院内で生まれる。

〇北六番丁小学校、上杉山中学校、宮城県仙台第二高等学校を卒業(中学までは院児と共に通学)。

〇早稲田大学第二文学部卒業、同大学院文学研究科修士課程修了。

宮城学院中学校高等学校教諭として31年間勤務。

〇その後、社会福祉法人仙台キリスト教育児院で16年間勤務し、75歳で引退。第9代院長を務める。

〇現在は、SCSミュージカル研究所評議員(仙台)、SBIこども希望財団諮問委員(東京)として活動。

 

現在85歳の大坂氏は、現在では貴重な「戦争の語り手」です。仙臺基督教育児院で過ごされ「最初の記憶は多恵子さんの洗礼の様子」とも語っている大坂氏に、12月8日に向けたコメントをいただきました。

 

 

大坂氏コメント――戦争下の育児院で起きたこと、12月8日に伝えたいこと

——当時の仙台基督教育児院への影響、周囲で見聞きした話などをお聞かせください。

大坂欣哉氏:

戦時下の育児院は「軍人遺族東京職業補導所」の疎開を受け入れておりました。40人の孤児と共に、60人の母子が同じ屋根の下で生活していたのです。また院内の牧場では、強制連行された朝鮮人が、放送局の巨大な防空壕を掘っていました。礼拝も許されない状況下で、「仙臺基督教育児院」という看板を一度もはずすことなく、生き抜いたのです。

 

——12月8日に向けた、メッセージをお願いします。

大坂欣哉氏:

日本の若者の弱点は、自己の立ち位置を明確に語り得ないことだと、私は思います。それは、広い意味での「宗教と政治」について、責任をもって語らないということです。

立場の違いを明確にして互いに認め合うことなしには、国際化時代の理解は成り立ちません。今、目前にしている出来事が積み重ねられて、歴史は形成されます。方法はそれぞれであっても、受け止めたバトンを次世代に伝える責任から、逃れることはできないのです。



戦時下を生きた“生の記録”から、人間の尊厳を問い直す

『荒野を深く耕せば――続・落ち穂ひろいの後:大坂欣哉人生ノート』では、ほかにも「お餅の配給があった、昭和20年のお正月」「東京空襲のあとの仙台空襲」など、さまざまな戦争にまつわる記録が読めます。

 

〈作品概要〉

仙台キリスト教育児院の院長退任後、著者自身の経験と思索をまとめた文章集です。

戦争や敗戦の記憶、家族や関わってきた人々の思い出、忘れてはならない出来事を記録しています。

 

〈こんなあなたにおすすめです〉

〇戦時中の出来事を、生の声で読みたい

〇キリスト教や仙台という観点から、戦争の記録を見たい

〇社会の中で「人を思うこと」の意味を考えたい

〇人生を振り返り、静かに心を耕したい

 

 

【書籍情報】

書名:荒野を深く耕せば――続・落ち穂ひろいの後:大坂欣哉人生ノート

著者:大坂欣哉

発行:22世紀アート

発売:2022年4月17日

販売ページ:https://www.amazon.co.jp/dp/B09Y55YZFX

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