久留米大学医学部より風土病関連の資料をご寄贈いただきました

公益財団法人目黒寄生虫館

2025.09.14 14:45

日本住血吸虫症制圧史のデジタルアーカイブ構築を目指す

日本住血吸虫症は、寄生虫の一種である日本住血吸虫が起こす人や家畜の病気で、かつて日本の限られた地域に流行し、肝臓疾患を主徴とする致死的で悲惨な風土病です。流行地の一つであった九州の筑後川流域における本症対策を牽引し、平成2(1990)年の安全宣言、さらに平成12(2000)年の撲滅宣言に導いたのが、当時の久留米医科大学寄生虫病学教室でした。この寄生虫との闘い100年を物語る資料を目黒寄生虫館にご寄贈いただきました。

 昭和24(1949)年、天皇陛下が九州御巡幸の折に久留米医科大学(現:久留米大学医学部)を御訪問なさり、筑後川流域で大流行していた日本住血吸虫症について御進講したのを機に寄生虫病学教室(現:感染医学講座真核微生物学部門)が開講。初代教授に岡部浩洋(こうよう)博士(在任:昭和24(1949)〜49(1974)年)が就任しました。岡部教授は、福岡県と佐賀県の日本住血吸虫病撲滅対策促進協議会、および水資源開発公団を率いて対策に臨み、日本住血吸虫の生活史を遮断するために中間宿主であるミヤイリガイの駆除を推進しました。やがて岡部教授は、水田水路をコンクリート化することでミヤイリガイの繁殖が抑制されることを見いだし、さらに筑後川の河川敷を牧草地や運動場、ゴルフ場へと転換するなど、ミヤイリガイが住みにくい環境作りに取り組みました。その結果、昭和55(1980)年(第2代教授、塘 普(つつみひろし)博士の時代)を最後に日本住血吸虫症患者はいなくなり、平成2(1990)年に安全宣言、さらに平成12(2000)年(第3代教授、福間英利博士の時代)には本症の撲滅が宣言されました。やがて筑後川流域の安全宣言に続くように、ほかの流行地からも安全宣言や終息宣言が発出され、日本は住血吸虫症を制圧した世界で唯一の国となりました。

 以上のような背景のもと、私たちは筑後川流域の日本住血吸虫症対策と制圧における、久留米医科大学〜久留米大学医学部の旧寄生虫病学教室、それに続く寄生虫学講座が果たした役割に注目し、調査を重ねてきました。その結果、現在の感染医学講座真核微生物学部門には、岡部教授以来受け継がれた膨大な数の文献・書類と、岡部教授が全国の流行地を歩いて撮影した写真資料(紙焼き・スライド・映像フィルム)、その時代に使用された教育用掛図などが当時のまま保管されていることがわりました。

 この度、第4代教授の井上雅広博士のご尽力とご厚意により、これらの資料を目黒寄生虫館にご寄贈いただきました。去る令和7(2025)年8月28日に久留米大学医学部で梱包作業を行い、9月1日には目黒寄生虫館に到着して資料庫に収納しました。なお本事業は、(公財)関西・大阪21世紀協会による2025年度「日本万国博覧会記念基金助成事業」により実現しました。また今後は、これらの資料をデジタル化してアーカイブを構築し、公開して利活用に供していきます。そのための経費を(独)日本学術振興会の科学研究費助成事業から助成を受けています。令和5(2023)年に施行された改正博物館法には、「博物館資料をデジタル化し公開すること」が明言されていることからも、引き続き推進が推奨される事業と考えています。住血吸虫症は現在、国際保健機関(WHO)が定める「顧みられない熱帯病」21疾患の一つで、アジア・アフリカ・中南米の熱帯地方で、WHOが中心となって対策・制圧に取り組んでいます。この貴重な医学史資料を保管し公開することで、恐ろしい寄生虫病の風化を食い止め、記録に留め、世界の感染症対策のために役立つことを期待しています。


画像のキャプション

1. 久留米大学医学部と岡部浩洋教授,2. 文献資料の一部,3. 写真資料(スライド),4. 梱包された文献資料,5. 写真資料(紙焼き),6. 掛図,7. 写真資料(紙焼き)

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