プライスレスな子犬たち 日本人と犬(9)

合同会社ユニーク・ドッグ・ジャパン

2024.09.26 11:39

高野山の案内犬 ゴン

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今から1200年ほど前の平安時代、弘法大師(空海)が和歌山の高野山に、修練の場として、金剛峰寺(こんごうぶじ)を建立しました。

正確に言えば、京都の東寺の住職だった弘法大師が、和歌山の800~1000メートルの高さで連なる山々に金剛峰寺を建て、その寺のある山が「高野山」と呼ばれるようになったのです。

その地方には、お大師さん(弘法大師)が高野山に登ったときに、2頭の犬が道案内をしたという伝説が残っています。

弘法大師が高野山に向かっているとき、山中で猟師に出会いました。そして、猟師が連れていた白犬の四郎と黒犬の九郎の2頭が、高野山までつづく山道を案内してくれたというものです。

高野山のふもとには、慈尊院(じそんいん)というお寺があります。

このお寺は、高野山が女人禁制だったので、弘法大師が母親の玉依御前(たまよりごぜん)を住まわせるために建てたと言われています。

そして、弘法大師が月に9回、高野山から20キロの山道を下って、慈尊院にいる母親に会いにきたことから、寺が建つ場所を「九度山(くどやま)」と呼ぶようになったそうです。

今でも、九度山町は、高野山参りの玄関口になっています。高野山にお参りする白装束のお遍路さんは、南海電車の九度山駅で降りて、慈尊院に立ち寄り、高野町石道(こうやちょういしみち)と呼ばれる20キロほどの山道を約7時間かかって登り、標高900メートルのところにある高野山金剛峰寺に達するのです。

昭和の終わり頃、九度山町に一匹の白い犬が現れました。紀州犬と柴犬の雑種のように見えるオス犬で、首輪もしていない野良犬でした。

その犬は、紀ノ川の支流の丹生川(にゅうかわ)にかかっている小さな橋のたもとをねぐらにしていました。おとなしくて、人に危害を加えるようなことはなく、朝、子どもたちが橋を通ると、一緒に学校まで送っていって、下校時には、子どもたちを迎えに行くようになりました。

子どもたちは、その白い犬を「ゴン」と名づけました。お寺の鐘がゴーンと鳴ると、その音に耳を傾けているようなので、そんな名前で呼ぶようになったのです。

子どもたちが学校にいる間、ゴンは、お遍路さんを駅から慈尊院まで案内するようになりました。そればかりか、慈尊院から続く山道を高野山までガイドするようになったのです。

お遍路さんがゴンに食べ物を与えようとしても、決して口にすることがなく、食べ物欲しさにガイドをしているわけではないようでした。

ゴンは参拝者とともに、朝の8時に慈尊院を出発して、高野山の大門にたどり着くのは、午後の3時頃。案内を終えたゴンは、一目散で山を下って、夕方の5時から6時頃には慈尊院まで戻ってきました。

そんなゴンを、弘法大師を案内した2頭の犬、四郎、九郎の生まれ変わりではないかと言う人もいました。

フィラリア症にかかっていたゴンは、平成4年に高野山の案内犬を引退しました。そして、老齢から足腰が弱り、白内障になりながらも、平成14年6月まで長生きしました。推定年齢、20歳以上の天寿を全うしたのです。

ゴンの飼い主となった慈尊院のご住職は、長生きのゴンにあやかり、飼い犬の健康や長寿を祈る「ゴンちゃんお守り」を作りました。

参考図書 「高野山の案内犬ゴン」 関朝之著 ハート出版刊

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