プライスレスな子犬たち 日本人と犬(8)
川上犬
日本犬は、まず、南方から縄文犬が入ってきて、沖縄から九州、本州と北上し、北海道まで広がって土着犬となったところに、弥生時代以降、朝鮮半島経由で入ってきた大陸系の犬と混血したものが起源と考えられています。
日本犬の中でも、北海道犬だけは、南方系のDNAが保たれており、海峡で本州と隔てられていた北海道では、大陸系との混血がすすまなかったためと言われています。
日本犬は、大型の秋田犬、中型の紀州犬、四国犬、北海道犬、中型から小型の中間の甲斐犬、そして小型の柴犬の6種類で、それらは昭和初期に国の天然記念物の指定を受けています。
同時に、天然記念物に指定された北陸の「越の犬」は、第二次世界大戦中に絶滅し、他に津軽犬、高安犬、越後柴犬、阿波犬などが姿を消してしまいました。
しかし、絶滅の危機を乗り越えて、奇跡の復活を果たした日本犬がいます。長野県の南佐久郡川上村を原産地とする「川上犬」です。
小型の日本犬で、甲州、武州、上州、信州にまたがる秩父山系の山犬が、猟師によって飼いならされたものと伝えられる犬で、信州柴犬を代表する犬と言われています。
信州系の柴犬には、保科犬、伊那犬、秩父犬、十石犬などがいましたが、現在、残っているのは、この川上犬だけなのです。そして、まさに奇跡的に、川上犬の血は守られたのでした。
川上犬は、大正10年に長野県の天然記念物に指定されました。陸の孤島と言われた川上村には、犬商人や愛好家がやってきて、1頭当り100円から500円という、当時としては法外の値段で犬を買い漁ったのです。
現在の川上村は、その冷涼な気候を利用して、レタスや白菜などを栽培する高原野菜の村として知られていますが、当時は、米も満足にとれない貧しい村でした。
犬はムダ飯食いといった風潮さえあり、70頭あまりいた川上犬はどんどん売られて、激減してしまったのです。
さらに、第二次世界大戦中には、軍の撲殺令によって、他の日本犬と同じように、川上犬は、村から姿を消していったのです。
戦後に残った川上犬は、わずかに3頭で、昭和31年には最後の1頭が死んでしまいました。
これで、川上犬の血も途絶えたかと思われた2ヵ月後、川上村の村長で、信州川上犬保存会の会長でもある藤原忠彦さんの家に、ひとりの老人が訪ねてきました。
老人は、亡くなった藤原さんの父親、武重さんに頼まれて、戦時中、川上犬のつがいを預かったが、子犬が産まれたので返したいと言ったのです。
人里離れた山奥で暮らしていた老人は、村に下りてきて、乾めんを買ったところ、それを包んでいた信州毎日新聞に「滅びゆく川上犬」という記事があるのを目にしました。自分が預かっていた犬が、そんなに貴重なものだったとは知らなかったと言って、老人は犬たちを連れてきたのでした。
その犬たちを基礎犬として、近親交配による奇形の続発といった苦難を乗り越えて、ようやく純粋な川上犬と言える形質を備えた犬が作出されたのです。
今では、川上犬は、村の生きた文化財として、村の生活を支える高原野菜とともに、村人の心を支える貴重なシンボルとなっています。
(参考資料)
「日本犬 血統を守るたたかい」 吉田悦子著 小学館文庫刊
企業担当者の連絡先を閲覧するには
会員登録を行い、ログインしてください。