人と犬の出会い(2)
食用から使役そしてヒューマノイドへ
犬が旧石器時代の人間にとって役立つ存在となったのは、番犬あるいは狩猟犬として働くようになってからです。新石器時代に入ると、獲物を追いかけていた狩猟民は、比較的おとなしい草食獣をてなづけて、家畜として飼うようになります。
主に羊や山羊を飼って、食べさせるための草を求めて移動するようになったのが、遊牧民です。遊牧民にとっては、旅を共にする牧羊犬はとても大切な存在で、古代ペルシャのゾロアスター教の聖典「アベスタ」には、次のように記されています。「地上の一戸の家たりとも、牧場の犬と、家の犬と、この二種の犬によらずして存在するものは、あらざるなり」
一方、牛や馬、いのしし(豚)などを柵飼いにして飼っていた者は、やがて、果実や穀類などの栽培も行うようになり、土地に住居を作って定着し、農耕民となっていきました。
農耕民に飼われていた犬は、番犬としての役目のほか、農耕地や穀物を荒らす鹿、いのしし、猿、ネズミなどを駆除するといった仕事をするようになりました。しかし、狩猟民族が犬に対して抱いていたような愛着の感情は希薄になっていったのです。
いち早く農耕文明が発達した古代オリエントや古代エジプトでは、遊牧民的な感覚が薄れていくにつれて、経済活動に役立つ使役犬としての見方も希薄になっていきました。
古代オリエントでは、犬は夜の番人と考えられ、闇の悪魔を追い払うものとして霊物視されていました。「犬は夜の闇を音も立てずに忍び歩く悪霊を吠え立てて追い払う力をもっている」という信仰は、ヨーロッパの民間信仰のなかに今でも受け継がれていて、犬が吠えるのは、その方向にいる知人に何か不幸があったことを知らせているとされています。
古代エジプトでは、犬は神聖な象徴となりました。ナイル川が氾濫する前に、必ず現れる天空の明るい星を、人々は「シリウス」(犬狩り)と名づけました。外敵が近づくのを教えてくれる犬とこの星とを結びつけて考えたと言われています。
エジプト神話には、ジャッカル(犬)の頭をした「アヌビス神」が登場します。アヌビス神は、死者を葬送する神で、地下界の王、オシリスの前で死者の魂を計量し、軽いとその人間は豚といっしょに野獣に食われてしまうというものでした。エジプトの人々は、犬が人間の死体を食べるのは、人間の霊魂を取り込むためではないかと考えたのです。そして、いつしか、犬は霊界の保護者であり、番人であり、使者でもあるということになったようで、犬の神像を祭る犬の偶像崇拝が生まれました。
旧ヨーロッパでも、犬は夜を司さどる悪魔的な動物であり、同時に邪悪な危険から守ってくれる聖なる存在と考えられており、しばしば月の女神の祭壇にいけにえとして供えられていたようです。しかし、中央ヨーロッパや東ヨーロッパの遺跡、イギリスやデンマークの古代遺跡から出土する犬の骨や頭蓋骨には、食用とされていた痕跡も残っていました。
日本に紀元前4世紀頃に渡ってきた弥生人は、農耕民でした。
弥生人は犬を食べていたことが分かっています。その時代の犬の骨を調べてみると、食用にされていた痕跡があったからです。縄文人は、犬と一緒に埋葬されるほど、犬を大切にしていましたから、弥生人はやはり別人種だったとされる所以です。
犬を食べる風習は、東南アジア、東アジア、南太平洋を含む地域、サハラ砂漠の南西部、中央アフリカなど、温暖な地域の農耕民族に多くみられます。現在でも、中国、台湾、韓国、フィリピンでは、市場で犬の肉が売られ、犬料理が提供されているのです。
1769年、南太平洋のタヒチ島に上陸したイギリスのキャプテン・クックの航海日誌には、次のような記述がありました。「飼い慣らされた動物には、豚、鶏、犬があるが、われわれはこの地で犬を食べることを覚えた。南海の犬はイギリスの羊に味が似ている、というのが、われわれの大方の意見である。ひとつ良い点は、ここの犬が野菜しか食物にしないことである。」
タヒチが属するポリネシアでは、狩りをする大型の動物がいるわけでもなく、家々は開放的で戸締りもしなかったので、猟犬や番犬は必要なかったのです。犬が育てられる目的は、もっぱら食べるためで、タロイモを煮てつぶしたものを犬に口移しで食べさせたり、人間の母乳で子犬を育てていました。片方の乳房に人間の赤ん坊、もう一方には犬か豚の赤ん坊が吸い付いているといった光景です。そして、母乳で育てられた犬の肉は、とりわけ柔らかく、美味しいとされていました。
犬は食用として飼われると同時に、さまざまな用途の使役犬としての役割も担うようになりました。中国のシャーペイは、食用として改良された犬種だと言われますが、現在のほとんどの犬種は使役の目的に合うように改良された結果、作出されたものです。
人為的な交配による品種改良の結果、人間に都合のよい犬種がたくさん作りだされたのですが、その過程で、犬の脱自然化、脱獣化が進み、16世紀以降、「動物もどき、動物まがい」あるいは「人間もどき、人間まがい」のヒューマノイドであるペットと呼ばれる存在に変わっていったのです。
犬は使役犬として有用だからということではなく、実用性からはずれて、ひたすら可愛がるだけの存在=ヒューマノイドになったために、牛や豚、羊などの家畜とは違って、食用にすることがタブーとなったのです。
アフリカのトゥムブウェ族は、チンパンジーやフクロウを食べることをタブーとしていました。チンパンジーは動物なのに人間そっくりなので、またフクロウも鳥なのに顔が人間に似ていて、耳までもっているからです。動物カテゴリーと人間カテゴリーの間に位置する動物は、畏怖の対象になったのです。
ペットという存在も、人間カテゴリーと動物カテゴリーのカオス領域にいるヒューマノイドであるがゆえに、「食用にすることがタブーになった」と考えられています。
参考図書
「人はなぜペットを食べないのか」 山内 昶 著 文藝春秋刊
「動物と人間の歴史」 江口保暢 著 築地書館刊
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