第8回 真珠湾「騙し討ち」説の崩壊―ルーズベルトは知っていた、 その完全にして最終なる報告8

株式会社22世紀アート

2024.04.13 20:30

⽇本の名誉回復に声を上げる。岸信介が「世紀の愚⾏」と称した真珠湾先制攻撃に厳正なる 評価が⾏われることを切望する、⽩松繁⽒が送る全報告書。

真珠湾史実研究会代表 ⽩松繁

楽しみにしてくれた皆さまへ

過去ーカ月毎に、『真珠湾「賑し討ち」説の崩壊ールーズベルトは知っていた、その完全にして最終なる報告』のタイトルで報告してきましたが、都合により今8回を以て終了致します。

今後の予定ですが、以下8報告を終了させ(割愛の可能性あり)、本年末12月8日発売を目指して書籍出版を行う予定です。なおその節は事前報告致します。

来年は戦後80周年となります。何としても真珠湾論争を決着させ、上から目線の関係ではない日米の真のイコールパートナーシップ確立の出発点となることを切望しています。

 

 

日本海軍無線封止の実態とアメリカの傍受記録

1.日本の通信網と米陸海軍傍受網  

日本の通信所は北から大湊、東京、横浜、舞鶴、呉、佐世保にあり、各通信所から国内外各基地との受発信が行われていた。メインは船橋にあった東京通信所で、支那, 朝鮮、台湾、父島、サイパン、トラック、ヤルート(マーシャル諸島)の各基地との受発信を行っていた。一方米陸海軍は北からダッチハーバーのキング局、アラスカ州シトカのAE局、シアトルのSAIL局、サンフランシスコのFOX局とTWO局、サンディエゴのITEM局、パナマのFOUR局、サモアのビクター局、ハワイのHYPO局、H局、FIVE局、ミッドウェーのAF局、グアムのベーカー局、フィリッピンのCAST局等があり、ワシントンの海軍情報部にUS局、陸軍通信情報部にSIS局があった。

図1 米陸海軍太平洋無線傍受網と日本の通信網

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傍受局全16局中12局が海軍管轄で、TWO局、FOUR局、FIVE局、SIS局の4局が陸軍管轄となっている。ハワイのHYPO局は、日本語に精通したジョセフ・ロシュフォート少佐以下、通信解析/方位測定スペシャリスト、暗号解読、翻訳者ほかタイピストを含む総人員178名から成る太平洋最大の無線傍受局であった。フィリピンのCAST局は、ルドルフ・ファビアン大尉とジョン・リートワイラー大尉以下70名の陣容であった。米海軍は真珠湾前から日本海軍暗号を徹底傍受(1941年9月から12月4日までに26、581通、日割り280通を傍受(1))呼出符号解読、通信文の部分解読および高性能方向探知機を駆使して日本海軍の潜水艦、給油艦を含むほぼ全艦船の追跡を可能にしていた。

図4 米海軍作成の日本の給油艦船追跡海図

 

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2.米海軍通信解析日誌と傍受記録

表3 米海軍通信解析日誌と傍受記録の種類 

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上表にある日誌形式の記録(1)、(2)、(3)、(4)、(5)を通信解析日誌とし、戦後解読として米政府が公開した記録(6)、(7)を傍受記録とした。注目すべきは開戦前のどの通信解析日誌にも日本の艦隊名、艦船名、拠点名が出てくる点である。これは米海軍が当時既に艦船呼出符号、地点略号及び連合艦隊の編成組織を解明していたことを意味している(2)。また(3)の海軍情報部1941年11月29日発行のインテリジェンス レポート(IR)に、日本艦船の通信ゾーン移動通知がある。さらに(5)の例として、CAST局発行6月21~24日付け日本艦船移動報告例(緯度、経度、通信ゾーン変更通知)がある(添付16~)。添付6 CAST局日本艦船移動報告例参照)がある。これらは真珠湾前より米側が日本海軍のD 暗号を解読していたことの証左である。 

添付5 通信ゾーン変更通知解読例(I.R.シリアルNo.2441)

 

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3.無線封止発令後の艦船発信事例26通の内訳(3)

’41年11月19日無線封止発令後に26通もの発信が米側に傍受されている(表8無線封止発令後の艦船発信記録参照)。機動部隊の空母「赤城」、戦艦「霧島」「比叡」、潜水艦「イ19号」、給油艦「尻矢」の発信、さらに第4艦隊旗艦「鹿島」井上中将宣戦布告電、第6艦隊旗艦「香取」他多数の支援艦船の発信が米海軍に傍受され、その行動を察知された。

表8 無線封止発令後の艦船発信記録(米海軍傍受記録26通、SRN「Special Research No.」は公文書館傍受信管理No.

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この事実より、日本の無線封止(電波戦闘管制)が完全に順守されたとの長年の通説は瓦解したと言っても過言ではない。また傍受されても解読されたわけではないとの主張も、呼出符号の解明で発信者と発信艦名および受信者と受信艦名の判明が可能となり、方位測定で発信艦位置を特定できた事実でその根拠は希薄となる(海軍D暗号は既述した如く部分解読されていた)。 二三の例をあげると、戦艦「霧島」が11月17日、ヒトカップ湾へ向かうとき、佐世保出航を連合艦隊へ発信(4)、給油艦「尻矢」が12月1日第7駆逐隊(ミッドウェイ破壊隊)宛て発信「北緯30度、東経154度20分に向け航行中、到着予定は12月3日、以降北緯30度線に沿って東進する」を傍受した米海軍は同艦の機動部隊所属を認識していたため(5)、太平洋を東に向かっていた機動部隊に対する給油目的で東進していると察知できた。また攻撃前日にイ73号潜水艦が発した「ラハイナ泊地に敵艦なし」が傍受され、米海軍はハワイ領海内での日本の潜水艦の偵察活動を察知した。さらに11月30日のH局CIS日誌に「比叡」及び「赤城」の発信傍受の記録がある(6)。このときの赤城の戦術呼出符号は“8YUNA”であった(7)。この赤城の発信に関しては、戦後行われた海軍関係者の座談会で淵田美津雄総隊長が、機関故障で落後したイ23号潜水艦のことで南雲長官が心配になって11月30日「おまえは何処におるんやと電波を出したんや」と言ったことと符合している(8)。この発信傍受で太平洋上の『赤城』の位置を米側に知られたと判断すべきである。

添付14 3―1,3-2,赤城の傍受例

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そのほか第4艦隊司令長官井上成美の麾下部隊あて宣戦布告通達(9)他3通、第6艦隊(潜水部隊)旗艦「香取」の発信4通あり(表8参照)、日本の潜水艦部隊がマーシャル方面への進出が米側に察知された(CIS報告)。攻撃前日第6艦隊の潜水艦計25隻がオアフ島周囲に展開、真珠湾から退避してくる米艦船を撃沈すべく待機したが、米太平洋艦隊空母2隻と最新鋭の巡洋艦、駆逐艦計33隻は週末の11月28日と12月5日の両日に急遽出港していたため、奇襲当日真珠湾から退避してくる米艦船は皆無で、日本潜水艦のオアフ島取り巻き作戦は空振りに終わった。日本のスパイ吉川猛夫の8か月の監視中、米太平洋艦隊の行動は週明けに訓練のため出港、週末に帰投するパターンであったが、週末に2週続けてこれほどの大量出港は見たことがなかった。それほど異常且緊急だったということである。そして直後に真珠湾攻撃が始まった。これが意図ある週末大量出港と言わずして真実は語れない。本件の詳細を後述する。

 

4.連合艦隊より発信した電令作と山本長官の出撃命令 

連合艦隊より機動部隊宛て11月5日から12月7日の間、計12通が発信され米側に傍受されている(表14 真珠湾奇襲前発信連合艦隊電令作と米海軍傍受記録参照)(10)。そのうち、第二開戦準備令(11月21日)、無線封止令(11月25日)、ニイタカ電(12月2日)、天皇勅語通達電(12月7日)、激励文(12月7日)5通が山本長官の発信である。本電令作リストには11月25日発信の山本出撃命令は存在していない。戦後の’45年10月GHQが海軍関係者黒島亀人、富岡定俊、淵田美津雄に対して行ったマンソン大佐によるヒアリングで、山本出撃命令の存在が明らかにされた。記憶による確認であるが戦後わずか二カ月のことであり且3人が了解した内容であるため、その存在は確実と判断した。本件については米側の真珠湾攻撃事前察知の決定的重要電であり、その存在を裏付ける根拠を次回報告9で詳述する。表14明示12通の連合艦隊電令作に山本長官の出撃命令は存在していないが日本の機動部隊あて発信であり、いずれもハワイ作戦敢行を米側に察知させる重要電であることに変わりはない。これらを全て無電で発信している事実は、当時山本長官を含む上層部が海軍D暗号は解読されないとの絶対神話が罷り通っていた証左である。そしてこの点こそが、真珠湾攻撃(日米戦争)最大の問題点(弱点=敗因)だったということになるのではないか。

それでは厳重な無線封止を機動部隊に要求しながら連合艦隊を含む軍令部は、何故機動部隊宛これら電令作だけでなく天気予報を含む真珠湾艦艇情報(A情報)を機動部隊宛て発信したのかであるが、応信不要の全艦船宛て放送発信(UMO-2、All Fleets)であるから傍受されても機動部隊の位置を知られることはない、仮に傍受したとしても解読はできないと考えていたのではないか。しかし米側はニイタカ電を傍受且部分解読で機動部隊の攻撃日を察知していたことは先述したとおりである。

表14 真珠湾奇襲前発信連合艦隊電令作と米海軍傍受記録

 

5.日本艦船移動報告例(Naval Movement Reports)

添付6 CAST局日本艦船移動報告例

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上記添付6のCAST局1941年6月21日の艦船移動報告で、日本艦船の現在地点(経度、緯度、周波数、傍受時間)が分かり、同時に通信ゾーン移動報告で移動先を察知していた。これにより米海軍は、ほぼ全日本艦船の行動を追跡できていたが11月19日発令の機動部隊に対する無線封止令で真珠湾攻撃参加艦船の行動が一時的に不明となった。しかし前述したように無線封止令は完全には順守されていなく(26通の発信あり)また国内の連合艦隊、軍令部からの機動部隊宛て発信が多数あり、米側は機動部隊のハワイ接近を察知できていた。一方、日本の海軍関係者の中で、日本は無線封止発令後一斉に九州近海にて偽電発信行動を開始したため、米側は機動部隊が九州方面に展開していると錯覚したとの主張が根強く語られている。これはフィリピンのCAST局の日本の空母は佐世保ほか日本の港に留まっているとした一部の報告が根拠となっていると思われるが、ハワイのHYPO局長ジョセフ・ロシュフォートは戦後、HYPO局員で偽電に惑わされた者はだれもいないと強く否定している。また真珠湾前の188通の傍受電中、偽電らしきものは一通もないこと、12月3日キンメル長官がレイトン情報参謀に日本の空母はどこかと聞いたとき、レイトンが空母の発信が10日以上もないので行き先は不明と答えため、キンメルが声を荒げて「それではダイヤモンドヘッドに突然現れても不明というのか」と叱責したとの会話からも、日本に留まっていると判断していた形跡はない。従って本稿では、偽電工作の効果は無かったと断定する。キンメルは知らされていなかったが、このとき米側(ワシントン)は機動部隊のハワイ接近を察知していた事実がある(11)。しかしこの事実を現地司令官に知らせないとしたのは、陸海軍トップのマーシャル参謀総長でもスターク作戦部長でもないとすれば(これほど重要な決定は陸海軍トップといえども上司の承認なしには不可能)最終決定者はその上司であるル大統領をおいてほかにはいない。このことは誰もが改めて再認識すべきであろう。

 

6.軍令部発信の真珠湾艦艇情報とハワイ方面の天気予報(A情報)

吉川猛夫の真珠湾艦艇情報は、ホノルル喜多総領事よりJ暗号(津暗号)にて外務大臣宛て送信(12月3日暗号機破壊後はPA-K2(オイテ)、LA暗号を使用)、大臣名で軍令部へ伝達、軍令部はその情報をD暗号に変換、ハワイ方面の天気予報を加え放送した。ハワイ接近中の機動部隊がその全艦船向け放送発信(モールス信号)をキャッチ,自艦宛てがあった場合にそれを翻訳、艦長報告するという流れとなる。真珠湾艦艇情報は軍令部では“A情報”と称し、11月30日から12月7日の間、毎日送信していた。このA情報は、防衛省戦史資料室にある機動部隊の第5航空戦隊戦時日誌及び第一水雷戦隊戦時日誌にその受信が記録されている(コピー保有)。

表12 軍令部発信ホノルル総領事報“A情報”

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ところが第二公文書館で、このA情報に該当する記録を検索するも見つけることはできなかった。ハワイへ接近中の機動部隊艦船が受信しているのに、太平洋各地に張りめぐらされた高性能大アンテナによる米海軍の傍受網で、他の傍受電と同様にキャッチできないはずがないので、「真珠湾の艦艇情報」および「ハワイ方面の天気予報」と明示しているA情報は、ターゲットが即真珠湾と判るので非公開となっていると考える。一方、この時期の天気予報に関してハワイ方面とは書いてない天気予報を含んだ発信電3通が、SRN管理No.傍受電として公開されている。内1通はAI、AF方面の天気予報として地点略号を使用したものであるが、当時米海軍は、AIがオアフ島、AFがミッドウェー島であることは察知していたのでこの天気予報電傍受でも機動部隊のハワイ接近を察知できていたと言える。(表23参照)。

 

表23 Striking Force(機動部隊)SIWI宛て発信電5通内訳および発信電令1

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上記A情報は、英国が75年後に公開するとした‘41年11月26日早暁のチャーチル首相からル大統領あて発信したマル秘電(山本長官の11月25日付けヒトカップ湾出撃命令の件と推測)が未だ公開されていないと同様な類いといえる。要は真珠湾攻撃予知の決定的記録は、戦後80年になろうとする今日に至るも米英とも非公開の方針を固守していると考えざるを得ない。但し天気予報に関しては、上記の如く「AI」がオアフ島、「AF」がミッドウェー島と認識していた傍受電を公開している。これは米側が表向きAIとAFは未解読だったことを示すサインとして公開しているのか、単に方針が一貫していないのかその意図は不明。

 

7.日本海軍の地点略号と部隊名の解明

米海軍による日本海軍地点略号の解明については、拙著「SS本」p98 地点略号および同「そのとき、空母はいなかった本」p256(3)地点略号および部隊名の解明の項で詳述している。本報告では解明ポイントを概説する。
第一のポイントは、日本海軍の地点略号及び部隊名はアルファベットの頭文字をベースとしているため、暗号の専門家でなくても容易に解明できたことである(表8‘41年11月25日H局傍受電例参照)例えば、E Force(E部隊)は英領(England)マレー部隊、H Force(H部隊)は蘭印(Holland)部隊、Striking Forceは(打撃部隊=第一航空艦隊)、G  Occupation Force(グアム攻略部隊)等々。但しAA  Occupation Forceがウェーク島攻略部隊、AF  Destruction Unitがミッドウェー島破壊部隊とは即不明であるが、Aがアメリカの太平洋諸島を表すことから(表9 特定地点略号表参照)それらがウェーク島、ハワイ諸島、ミッドウェー島、ジョンストン島、パルミラ島のいずれかであることが分かる(表10参照)。ここで既述したように日本の通信でミッドウェー方面の天気予報を機動部隊に知らせるときに出てきた地点略号がAFだったので、米側はAFがミッドウェー島であることを察知していた。次に対日戦略で重要な拠点は日本に最も近いウェーク島ということになるのでAAがウェーク島であると判定可能。斯くの如く米海軍は呼出符号も最短2日で解明していた実力から、アルファベットの頭文字をベースとした部隊名および地点名を解明することは極めて容易であったことが分かる。因みに部隊名“Striking Force(攻撃部隊)”がHYPO局作成の通信解析レポート(CIS)中で“ダイイチコークーカンタイ”または”Striking Force #1”の呼称で書かれている。即ち11月25日の本傍受電のStriking Forceが外ならずハワイ真珠湾攻撃部隊であることを察知していたことが分かる。本傍受電も解読は米側見解で戦後となっているが、上記解説で明らかなように傍受当時解明できていたことは自明の理といえる。

表8 1941年11月25日H局傍受電例

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表9 日本海軍作成特定地点略号表

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表10 特定地点略号表頭文字Aの第2ページ(AFがミッドウェーとわかる)

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8.    日本海軍通信方法と問題点

軍令部は機動部隊がヒトカップ湾に集結を始める11月19日を以て,最も厳しい無線封止体制“往航は電波戦闘管制”、攻撃隊発進後は“電波警戒管制”を命じた。電波戦闘管制は、作戦上緊急以外は一切の発信を禁止、緊急発信は艦隊司令長官の判断とした。また電波警戒管制も発信は禁止、緊急発信は艦長以上の判断とした(潜水艦部隊は作戦上11月11日出航となり11日以降の発信が禁止された)。斯くのごとき厳しい無線封止体制下での出撃となったのだが、結果的に往航途上南雲艦隊8通、第4艦隊4通、第6艦隊(潜水艦部隊)4通、給油・輸送艦船10通,計26通の発信が米側に傍受されていた。さらに無線封止前の真珠湾関連の連合艦隊電令作7通(山本出撃命令を含めれば8通)、A情報12通(機動部隊受信、米側未公開)、天気予報電3通合計49通の発信が傍受されていた。NSAが1991年10月戦後解読したとする『パールハーバー攻撃に先立つ日本海軍通信文』26、581通中、真珠湾攻撃に関連したもの188通を公開した。この中には上記筆者がカウントしたSRN No.傍受電49通のいくつかが含まれている。公開時NSAもD暗号を部分解読できていたことを認めている。
軍令部は全艦宛て呼出符号UMO-2で応信不要の放送発信だから、誰宛てなのか分からないはず、傍受されても解読できないから心配無用との思い込みがあったのは間違いない。真珠湾奇襲攻撃を成功させるために機動部隊30隻、潜水艦部隊25隻、プラス支援艦多数を以て太平洋に展開していた数十の艦船が目的達成のため齟齬なく整然と展開させるためには、連合艦隊および軍令部の無線発信による指示、命令、真珠湾艦艇情報伝達、天気予報等の情報伝達が不可欠であった。オアフ島を取り巻く25隻の潜水艦部隊も無言の進攻展開は不可能であった。真珠湾攻撃の難しさに関しては、ハワイまで6千㎞におよぶ航海中の艦船に対する給油がスムースに行えるのか、浅沈度魚雷の開発は間に合うか、攻撃方法と引き揚げ方法、無線封止の実施、途中で発見された場合の対応等々は十分検討されたが、まさか当時米海軍がD暗号を部分解読できて、日本の真珠湾攻撃意図を察知していたなど想像だしなかったので、上述したように真珠湾攻撃に際し、無線封止と言いながら支援艦隊を含め数十の無電が発信され傍受されていた。戦闘機搭乗員がたとえ機位を失っても母艦への位置確認の無電は一切しないとの決死の覚悟は、艦隊上層部には全く通用していない。というより、ハワイ作戦そのものが、無線通信なしのメクラ状態では作戦の円滑な遂行ができないということを証明したともいえる。日本から6千㎞の遠隔地でこれだけの大作戦を行おうとすれば、作戦支援のため機動部隊宛て指示、命令、情報提供は必須であったし、その方法は無線通信(含む放送通信)以外の方法は無かった。それにしても第4艦隊井上中将の宣戦布告通達(米側に傍受されていた)は、配下への鼓舞通達であり作戦上必須ではなかった。海軍一の知識人としても、その軽率さは論外である。

(本報告8のまとめ)

機動部隊(含支援艦隊)の無線封止は崩壊、連合艦隊、軍令部の発信も傍受、部分解読され、その行動意図(真珠湾攻撃)を事前察知されたのは、以上列記した事実からも当然の帰結(結論)となる。それにしても真珠湾前の1941年9月初めからから12月4日までのわずか3か月間で日本軍が26、581通もの膨大な発信をしていたこと、それを傍受した米海軍がIBM製統計機を駆使、その発生頻度から呼出符号、地点略号、部隊略号等を解明、D暗号の部分解読さえ可能にし、対抗策を練っていた米海軍の情報解析力に対し、日本海軍の情報管理レベルの低さ(上層部の情報戦にたいする無理解)を改めて痛感させられた。斯かる極端な日米差を知らず、空母数比較だけで勝算ありと真珠湾先制攻撃を仕掛けたことが如何に無謀であったか(ル大統領戦略に乗ってしまった)、その後の結果(ミッドウェー完敗)で知ることとなった。がときすでに遅く、そのレベル差を解消することは到底不可能であった。国家間の戦争を冷徹に判断できる人物がいたならば、ミッドウェー敗北で和睦を求めたであろう。しかし誰一人、山本五十六の作戦ミス(大敗北)にクレームを付けた人物はいなかった。というより、山本自身がその敗北に箝口令を敷き隠蔽するという作戦トップとしてあるまじき行為に走ってしまった。通常、斯くなる将軍を名将とは言わないはずである。

 

 

(1)1991年10月NSAが『パールハーバー攻撃に先立つ日本海軍通信文』1941年9月より12月4日までに傍受した日本海軍暗号電報26、581通を公開した。

(2)連合艦隊組織解明のエビデンスは、拙著『そのとき、空母はいなかった本』p264、表11 米海軍作成日本艦隊編成組織概要(‘41/11/01/)、p265,米海軍作成連合艦隊編成組織(‘41/10/30)、電子SS本p158、巻末添付26、表20 佐伯湾集結電を参照

(3)米海軍傍受網が1941年11月9日から12月7日間に傍受した3、252通よりヒトカップ湾出撃後の発信を筆者が抽出した。

(4)海軍D暗号に精通した戦史家より、無線封止令は11月19日であり「霧島」の出港報告電は同17日なので、無線封止違反とはならないとのクレームを受けた例がある。しかし戦史叢書『ハワイ作戦』p256に「機動部隊は企図秘匿のため各艦隊の出港日時を異にし、出港と同時に電波戦闘官制とする」とある。第六艦隊の潜水艦部隊は、11月11日に出港しているので、11日以降が無線封止となる。

(5)「尻矢」が機動動部隊所属第7駆逐隊(ミッドウェイ破壊隊)あて航路通報を発信した。 

(6)11月30日付け通信解析日誌CIS(Communication Intelligence Summary)に以下の記述がある。「The only tactical circuit heard today was one with AKAGI and several MARUs. 

(7)11月29日付けCAST局傍受記録241511、巻末添付14 3-2参照、このときの赤城の戦術(Tactical)呼出符号“8-YUNA”であったが12月1日以降の赤城の呼出符号”YUNE-8”となった。

(8)半藤一利著『真珠湾』文藝春秋、2001,p167

(9)第4艦隊司令長官井上中将が12月4日、宣戦布告特別通達(米海軍傍受電のタイトル、A special message on the occasion of the Declaration of War)を麾下の各部隊に対し無電通達、今こそ日頃の訓練の成果を示すときと各自にその心構えを伝えた。米海軍傍受電記録SRN115368、傍受日12月6日(HYPO局)、但し海軍解読日1945年10月24日となっている。これも日米戦開始の決定的通信であるがSRN No記録は全て戦後解読となっている。然し当時部分解読はできていたことは前回報告で既述済み。機動部隊出撃後これほどストレートに開戦を伝えた無電はない。海軍屈指の知性派と言われた井上中将でさえ無線発信に対する警戒感希薄に驚きを禁じ得ない。

(10)本電令作以外に米側に傍受された機動部隊宛て発信は電子SS本p156、巻末添付23、表23Striking Force(機動部隊)呼出符号SIWI 1発信5通の内訳を参照,伏見宮殿下の奇襲成功祈念発信もある。さらに機動部隊宛て放送発信、SS本p152、巻末添付19、表12 軍令部発信ホノルル総領事報(A情報)がある。但し本A情報は公開すれば当時米側は日本のターゲットが真珠湾であることが明らかにになるためか非公開の模様で公文書館訪問時に見つけることはできなかった。

(11)連合艦隊電令作7通の傍受、機動部隊及び給油艦船等の支援艦船からの26通の傍受、オグ報告(ロバート・オグ一等水兵が電波のイタズラともいうべき機動部隊エコー散乱波を解析、偶然にも機動部隊の位置を探知した)。吉川猛夫の真珠湾艦艇情報、山本五十六の出撃命令傍受、機動部隊向け「A情報」の傍受等で察知していた。

【著者書籍】
・そのとき、空⺟はいなかった: 検証パールハーバー (22世紀アート)/⽩松 繁
・真珠湾攻撃 「だまし討ち説」の破綻 裏⼝参戦説を糾す/⽩松 繁

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