江戸から続く在来の和綿という存在。自分の手で糸を紡ぐ農的な時間に触れてみませんんか。2024年初の糸紡ぎワークショップを開催します。
紡木座縁 TSUMUGIZA-EN。和綿を紡ぐ糸紡ぎワークショップを新宿マルイ本館にて開催します。
東京コットンビレッジでは、日本の和棉という存在から学んだ先に見えてくることとは何か、暮らしの中にあった農的な時間を体感しながら活動をしています。
新宿マルイ本館8Fにて、1月11~31日「発信する女性展(主催:ビューティスタンドプラス)」が開催されます。その中で、糸紡ぎワークショップを行います。1月20日、21日は、8F展示スペースで、糸車などのデモンストレーションも行う予定ですので、お近くに来た際には足を運んでみてください。ワークショップは2月4日と11日の2日間、各日ともに事前予約制となります。
<イベント詳細>
https://tokyocottonvillage.com/event/2024-2-4.html
<開催日時>
2024年2月4日(日)
第一部14:00-、第二部17:00-
2024年2月11日(日)
第一部14:00-、第二部17:00-
<貴重な国産の、和綿>
799年(平安時代)小舟に乗った崑崙コンロン人が三河(愛知県)に漂流し、その際に木綿の種を持っていたというのが日本に初めて木綿が伝えられた最も古い記述とされています。*崑崙コンロン人ではなく天竺テンジク人(インド人)という説もある。しかしなぜ小舟で漂流したのか、なぜ木綿の種を持っていたのか、本来の目的は布教だったのでは等諸説あります。木綿は紀伊・淡路・四国・九州諸国に植えられたのが栽培の始まりとされており、その植生から比較的温暖な地帯を中心に栽培されました。しかし栽培はうまくいかずまもなく衰退、絶滅したとの記述が残っています。隣国朝鮮では14世紀に元(中国)から綿種子を輸入したのが綿作の始まりとされ、まもなく綿布等は日本に輸出されました。日本にとって綿布はそれまで着用してきた麻・からむし・葛・桑などに比べ比較にならないほど暖かく丈夫で肌触りが良かったので貴重品・珍品として扱われました。当時の日本は綿布の引き換えに金銀銅などを差し出すほど木綿の魅力に強く惹きつけられていきました。そして日本の買付けが余りに激しいため朝鮮側が抑制し始めると中国の木綿を買い付けようとしました。しかし明帝国(中国)の海禁政策により密紡績以外に木綿の輸入は困難でした。こうして外国木綿依存の道が破綻するようになる応仁の乱前後の頃から日本国内でも木綿が作られ始めました。安定した栽培の始まりは16世紀とされ外国から多量の種子を輸入し、大和・河内・山城・摂津・和泉(五畿内)などでの栽培が始まりました。以後九州諸国や東海・関東諸国等寒冷地を除き全国的に広がっていったとされています。
<糸を紡ぎながら、感じてみよう>
現在、お店で販売されているコットン製品の原料のほとんどには大量の農薬が使用されており、農作物の中で農薬の使用量が最も多いのがコットンと言われています。近年はオーガニックコットンという言葉も聞くことが増えてきましたがシェアとしてはまだ少ないのが現状です。理由としては大量生産、効率性を重視した経済発展のためです。経済発展が引き起こす様々な問題は時代が変われども常に存在します。今は土壌、環境を犠牲にして経済発展をしています。農薬や枯葉剤の影響はすぐには表れませんので病気や不具合が出ても本当の理由はわからないのでしょう。そして人間社会だけでなく自然環境の変化に伴い生態系への影響もあるでしょう。しかしそれでも「衣食住」の全ては「土」から成ります。人間を含む全ての生き物は土が無いと生きていけません。だから土を汚してはいけないのです。とてもシンプルなのです。世界人口の食料確保を理由とした遺伝子技術の発達、オーガニックという耳障り良い言葉の乱用、やりたい放題な現状です、全ては経済発展のために。そう、いつか来た道なのです。コットンは世界中の産地によって種まきや収穫の時期も違い品種によって繊維の長さ、強さ、撚りの程度、色の具合など様々異なった特徴を持っています。日本古来のコットン「和綿」にも日本の気候にあった特徴があり、そこに生まれ暮らす人達に似ていると言われています。そんな和綿の産業自給率は0%です。経済発展のために栽培を放棄された在来種です。大量の情報が交錯する現代生活、心静かにゆっくりと、糸を紡ぐことから見えてくる大切なこともあるのではないでしょうか。これまでの歴史のように社会は常に変わるものです。じっくりと自身で考え判断し行動したいものです。
<東京コットンビレッジの活動とは>
わたしたちにとって身近なコットン素材。
コットンに興味を持ったきっかけは、国内自給率がほぼ0%であると知ったことからでした。
日本には崑崙人によりもたらされ広まったといわれる「和綿」があり、江戸時代には国内自給生産されていた歴史があります。その和綿にも銘柄があり、さまざまな特徴がありました。現在わたしたちが栽培しているのは、「会津」「真岡」「三河」「河内」「伯州」「佐賀」「茶棉」などの銘柄です。
商業的生産としても栽培が盛んであった畿内ではより多くの銘柄が残されていますが、関東以北などでも栽培されていことが残っており、各藩によりそれぞれに特徴があったことが窺がえます。これらは近代産業化の流れによって衰退していき、現在国内で使われているコットンのほとんどは海外から輸入されています。また、世界で栽培されているコットンの99%には多くの農薬が使われているという現状もあります。東京コットンビレッジでは、失われてしまった和綿の背景からみえてくる社会の課題に気づき、文化を伝えること、また種を守ること、そして栽培において失われている環境について考えることなどを大切に活動をしつづけています。
<NPO法人東京コットンビレッジについて>
https://tokyocottonvillage.org
<運営情報サイト>
https://tokyocottonvillage.com
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<NPO法人東京コットンビレッジ>
お問い合わせ先:contact@tokyocottonvillage.org
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