孤高の天才プリンス。真実の姿が明かされる唯一無二の評伝ついに刊行!

株式会社東洋館出版社

2022.06.28 09:00

ロックオペラ「3 Chains o'Gold」を共作した、元ローリングストーン誌・ジャーナリストが執筆!

株式会社東洋館出版社(本社:東京都文京区、 代表取締役社長:錦織圭之介)は、2016年4月21日に急逝した世界的なPOPアイコン“PRINCE”の評伝 『プリンス FOREVER IN MY LIFE』を2022年6月30日に発売します。 本書はアメリカで刊行したプリンスの評伝『This Thing Called Life: Prince's Odyssey, On and Off the Record』(2020年10月)の待望の日本語訳。発売当初アメリカで大変話題になり「2020年秋回顧録・伝記トップ10」に選出された(Publisher’s Weekly)。

 

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▶誰もが彼を天才と呼んだ。孤高の天才、プリンス―― そんな彼が唯一心を寄せたジャーナリストが語る、真実の物語
音楽史における唯一無二の男、プリンス――。公式発表されたアルバムは43枚、そのトータルセールスは1億5千万枚。7度のグラミー賞受賞、2004年にはロックの殿堂入りを果たすなど、その功績は正に偉大。一方で、インタビューなどは少なく、その人柄は謎のベールに包まれている。
というのも、プリンス自身がその少ないインタビューにおいてでさえ真実を語ってきたとは言い難く、彼に関する情報は、断片的でまことしやかなものがあまりにも多いからだ。彼ほど一貫性をもって語ることが難しいアーティストはいないだろう。むしろ矛盾こそがプリンスと言える。本書ではそんなプリンスの本質に迫るべく、著者のニール・カーレン独自の記録以外にプリンスの両親、バンドメンバーを始めとする関係者の証言、既出の情報をまとめ上げ解釈を試みた一級品の伝記となっている。彼についての書籍は多く刊行されているが、ここまで繊細で多才なアーティストの側面を愛情深く、丁寧な作業で捉えた書籍はない。

▶元ローリングストーン誌・ジャーナリスト、ニール・カーレン氏とは
著者のニール・カーレンは、プリンスと同じミネアポリス出身。公式のインタビューがほとんど取れなかった80 年代に唯一プリンスが詳細なインタビューを許可し、さらにロックオペラ「3 Chains o'Gold」を共作したジャーナリストである。彼は、プリンスのスタジオ兼住居のペイズリーパーク敷地内に埋めたとされるプリンスの遺言書を書いたことも本書によって明らかにしている。ニールは 1990年代以降、プリンスに関する一切の記事執筆をやめていたが、プリンスが亡くなる 2 週間前にも電話で話すなどその親交は30年以上続いた。プリンスが亡くなり様々な書籍が刊行される中、あえて再び筆を執ったのは、初めてプリンスにインタビューを行った後に彼から貰ったメッセージカードに記された「本当のことを書いてくれてありがとう! 神の恵みがありますように」が忘れられなかったからだという。ニールとプリンスは育った地域が隣接していたことから、10歳か11歳のニールをプリンスは見知っていたらしい。嘘か誠か、子どものニールはプリンスの仲間たちからキャスパー(映画『キャスパー』の主役で子供のおばけ)と呼ばれていたということをプリンス本人が打ち明けている。▶本書について
プリンスはインタビューにおいて、録音、メモなどの記録を禁じた。そこでニールがとった行動は、正確な情報を記録するために、頻繁にトイレに行きトイレットペーパーにメモをしたという。本書執筆にあたってはニールがこのようにメモした大量のトイレットペーパーやインデックスカード、録音したが記事にしなかった情報をもとに気の遠くなる作業を経て執筆された。本書ではプリンス・ロジャー・ネルソンという個人がPOPアイコンとしてのプリンスを如何にして作り上げていったのか、そしてPOPアイコンとしてのプリンスと個人としてのプリンスとどのように折り合いを付けていったのか、愛憎入り交じった父親との関係、レコード会社との軋轢、マイテ・ガルシアとの結婚、程なく生まれた子どもとの死別、エホバの証人への入信など、プリンスの核心とも言える部分を著者独自の視点で解釈している。

〇544頁の圧倒的な情報量


▶人間プリンスについて
本書では、著者のニールは、POPアイコンのプリンスについては勿論承知しつつも、人間としてのプリンスを見ることが出来る関係だったようだ。
菜食主義者のように見えていたプリンスだが、実はミネアポリスには行きつけのバーベキューレストランもあったようで、そこでニールとプリンスは冗談めいたやりとりをしている。
また、プリンスはテレビ放送のコメディードラマがたいそう好きだったようで、死の3週間ほど前にもそのことで深夜にニールに電話をかけていた。具体的には「コメディドラマ『ジ・オフィス』の再放送で、ニールが聞いたら大笑いするような場面があったから」だったという。プリンスにとっては深夜に電話をかけ、取るに足らない話をする相手が必要だったのかもしれない。
プリンスの人物像については、その多くが謎だが、少なくとも本書から垣間見えるプリンスは、どこまでも人間臭く、愛くるしい。

▶プリンスとミネソタナイスについて
プリンスが生まれ生涯をおくったミネソタ州には「ミネソタナイス」という言葉がある。これには「何事もなかったふり」をし続けるという意味がある。
1960年代の住民の99%が白人、大部分が北欧諸国からの移住者で「自分が特別な存在だと思ってはならない」に代表されるヤンテの掟が根強く染みついた街。圧倒的マイノリティーの中、共同体を維持する掟「ミネソタナイス」が染みついた街で、強い自尊心を維持しつづけ、自らの才能を信じ、プリンスは生涯にわたりプリンスのふりを続け、それは世界を巻き込んだ。一般的にはミネアポリスが生んだPOPスター、プリンスというイメージがあるが、死後はともかく、生前のプリンスに対し世界的POPアイコンになった後も、一部のファンを除きミネアポリス住民は消して寛容ではなかったようだ。
プリンスは矛盾に満ちた存在だ。どんなに彼のことを理解している人間でも15%も知っている人はいないと言われている。菜食主義者かと思えばバーベキューレストランで骨付き肉を食べている。何日もスタジオに籠っていたかと思えば、急にペイズリーパークの従業員一同と映画館を貸し切って映画『テッド』を見てゲラゲラ笑っている。アルバムが完成したと思ったら、思い立ってお蔵入りにする。10年ぶりに電話が掛かってきたと思ったら、まるで昨日話した続きのように話をする。このような振る舞いは、「ふり」をするということが染みついたミネソタ州で育ったプリンスならではのユーモアであり、プリンスの幅広い音楽性の源泉なのかもしれない。

▶なぜ今プリンスなのか?
プリンスが亡くなる前年の 2015年のシングルカット曲『ボルティモア』。これは米メリーランド州ボルティモアで警察に拘束された黒人青年が死亡した事件に警鐘を鳴らすものだった。その後プリンスが亡くなってから 4 年後の 2020年にミネアポリスのペイズリーパーク近くで黒人男性ジョージ・フロイド氏が警察の拘束中に死亡する事件が起こった。
2021年に発売された『ウェルカム・2・アメリカ』。このアルバムは 2010年に製作され永くお蔵入りになっていたものだ。タイトル曲をはじめアメリカの分断に警鐘を鳴らすテーマのアルバムだ。かつてプリンスの表現は時代の 10年先を行っていると言われたが、くしくも 2010年に製作されたアルバムが、今の世界情勢に合わせる形で満を持してリリースされた。プリンスについてはデビュー以降様々な語られ方をしてきた。皮肉にも亡くなって以降の分断された世界で、今ほどプリンスが必要とされている時代はない。

2022年6月3日にはキャリア頂点時期の1985年3月30日にNY州シラキュースでの「パープルレインツアー」の模様を収録した『ライブ1985』のデジタルリマスター版の再発売があり、話題になっている。更に1986年に録音され発売中止になったアルバム『カミーユ』がジャック・ホワイトのレーベル、サード・マン・レコードからリリースされるという。数千曲あると言われているプリンスの未発表音源のリリースはしばらく続くと思われる。

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