尼崎市塚口サンサン劇場に黒澤明上陸!38年越しで完成したドキュメンタリー映画『Life work of Akira Kurosawa黒澤明のライフワーク』を6/16(金)~6/22(木)に上映!

株式会社tokyowebtv

2023.06.04 12:30

1985年公開された黒澤明監督『乱』。 当時関西学院大学の大学生4年生だった監督・河村光彦はメイキング撮影班として現場に参加した。
彼とその仲間たちが1984~85年に記録した素材は約150時間分。その素材を基にメイキングやTV特番が発表されたが、それらは河村の手から離れてつくられたものだった。黒澤明の没後、1998年、その撮影素材テープを発見する。
しかも当時の記録媒体はアナログの3/4インチのテープ素材。この素材の一部(70時間分)をデジタル化し、編集を開始し、各プロダクションや出演者の許諾を得て、2022年に完成&公開。
その本編に改めて整音を加えたバージョンを、1週間限定公開する。

もちろん『乱』も同時期上映。
38年前の黒澤明の現場の撮影風景が甦る。

*2Kのレストアではございません 
*音声映像に乱れがあることをご了承ください
 
没後25年目にして完成した映画『Life work of Akira Kurosawa』は黒澤明監督の生きざまを通して、
真の リーダーシップ を学べて、正しい愛の 人材育成、指導法を悟れる人生の教材だ。
これは単なるメイキングビデオではございません。
観客は黒澤監督の誠実で熱意のある仕事ぶりから多くを学ぶはずです。職場における真のリーダーシップや、親として子に接する時に、愛の籠った言葉で的確に指導すべきだということを悟ります。
黒澤監督が現場で見せる、俳優に対する穏やかな口調は、これまでマスコミが報じた黒澤天皇のイメージを180度変えます。
その善良な人格が世界を感動させてきた映画作りの原点だったのです。
大学生の時にそれを目撃した監督河村光彦が、その生涯を捧げて完成したのがこのドキュメンタリー映画です。

河村光彦監督 特別寄稿『黒澤映画の秘密』

1984年から1985年にかけて、映画『乱』の撮影が兵庫県、熊本県、大分県、静岡県(富士山)など日本各地でおこなわれました。
当時すでに74歳を迎えていた黒澤明は、これが最後の作品になるかもしれないという思いがあり、自身の映画づくりを若い世代に伝えることを考えはじめていました。そのため『乱』のロケではインタビューや取材に積極的に応じ、撮影現場へのムービーカメラやビデオカメラの立ち入りを一部に限り許可したのです。

ビデオ撮影が許されたのは、当時まだ20代の若者たちでした。海外で注目されはじめていた映画のメイキング映像の撮影を関係者に直訴したところ、幸運にもロケへの同行を認められたのです。

若者たちは、当時登場したばかりのポータブルタイプの業務用ビデオカメラとレコーダーをロケ現場に持ち込み、映画スタッフと寝食を共にしながら『乱』の制作過程を記録していきました。

メンバーの一人・河村光彦は関西学院大学に通う学生で、自主制作映画の経験はあったもののいきなりのプロの現場にとまどいつつ、黒澤組の一員としてビデオ収録に従事しました。

150時間におよぶマスターテープには、黒澤明の映画づくりのポイントを解き明かす上で手がかりとなる重要なシーンがいくつも記録されています。

たとえば、NGを出してしまう俳優に根気づよく演技指導を繰り返す黒澤明の姿があります。
そこには一般的なイメージである「怖い監督」の姿はありません。
「このシーンはこういうことだから、そういった演技になるはずはないだろう︖ こういった演技だろう︖」と、まるで教師が生徒を教え諭すような姿があります。

また、リハーサル風景だけでなく、通常は撮影が許可されない本番撮影の様子も記録されています。(ムービーカメラは音がするため本番撮影は許可されなかったが、ビデオカメラは無音のため許可された) 黒澤明の「よーい、スタート」「カット、OK︕」という肉声が入った、貴重な本番シーンが多数残されています。

現場に俳優を入れるまでのセッティングが兎に角大がかりでした。
 映画冒頭の一文字家幕屋のシーンでは、準備段階の幕を張る作業に黒澤監督自らが率先して参加していました。『ゴジラ』の監督で演出補佐の本多猪四郎監督や『七人の侍』のカメラマンでCカメラの中井朝一さんや『羅生門』から記録を務める野上照代さんも、幕を張るのを手伝ってました。セッティングが終わると役者を入れてこのシーン全体の稽古が始まります。
 「作業をやめて皆よく見てて」と黒澤監督。
スタッフ全員を集合させてリハーサルを見学させました。
 6か月のリハーサルを行っているから、全体の流れは出来ている、と思いきや全くそうではありませんでした。
 俳優の台詞は全部入っています。狂阿弥(ピーター)の狂言も決まっていました。でも黒澤監督は、「兎じゃ」という狂阿弥へのリアクションのタイミングや宴全体の雰囲気づくりを細かく指導して行きました。時に狂阿弥の仕草を黒澤監督が演じて見せます。三郎の台詞を口にして、笑い方まで指導します。シーン全体が少しずつ出来上がり、スタッフ全体が笑いに包まれてリラックスしていくのです。その光景たるや、夢にまで見た黒澤劇場そのものでした。その日は曇りの天候が理由で撮影は行われず、稽古だけで終わりました。
 翌日晴天下で本番撮影が始まりました。が、その前に黒澤監督が行ったのは狂阿弥の狂言動作の変更でした。前日まで決まっていた動きを、より滑稽なものに変えたのです。とはいえ、なかなか動きが決まりません。何度やっても腰から扇子を抜く狂阿弥の仕草がしっくりこないのです。その間黒澤監督は一度も声を荒げることがありませんでした。常ににこやかに狂阿弥の動きを見つめていました。
そこでぼそっと一言アドバイス。「途中で回ってみたら?」
その通りにやってみる狂阿弥。
「それでいいね。これでできた」と笑顔の黒澤監督。
かくして、白い徳利に2本の扇子を立てて兎の耳に見立てる仕草が完成しました。

ほかにも、武士や馬が多数登場する時代劇ならではのシーンや、富士山の御殿場口新五合目に設営した実物大の城のセットを大軍が取り囲み炎上するスペクタクルシーンなども記録されています。

今回紹介する90分間のドキュメンタリー映画では、なぜ3台のカメラを使ってワンシーンをワンテイクで撮影するのか、その理由を黒澤監督が語ります。これまで明かされなかった黒澤映画の創造の秘密をご覧ください。

河村光彦(かわむら みつひこ)
1961年愛媛県生まれ。
1985年関西学院大学法学部卒業と同時に上京。
大学在学中に『乱』メイキング取材班に採用され、その後
TV、映画、70mmドキュメンタリー映画製作に従事。
2022年『Life work of Akira Kurosawa黒澤明のライフワーク』を私費で製作、劇場公開する。

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