第1回 真珠湾「騙し討ち」説の崩壊―ルーズベルトは知っていた、その最終にして完全なる報告
日本の名誉回復に声を上げる。岸信介が「世紀の愚行」と称した真珠湾先制攻撃に厳正なる評価が行われることを切望する、白松繁氏が送る全11回にわたる報告書。
はじめに
真珠湾史実研究会代表 白松 繁1)
1941年12月8日(ハワイ時間12月7日朝7時55分)日本海軍機第一波183機がハワイ真珠湾を急襲、およそ1時間後、第二波167機による連続攻撃を敢行、米太平洋艦隊の主力戦艦4隻撃沈、4隻大破他多数の艦船に損害を与え、死者2300名を超える米国史上最悪の損害を与えた。攻撃翌日開催された上下両院議会でルーズベルト大統領(以降ル大統領)が「日本との平和交渉中に宣戦布告もなく突如攻撃された」と演説、日本の攻撃が「騙し討ち」であったと強調、ジャネット・ランキン女史ひとりを除く全議員の賛成で「対日宣戦布告」が採択された。
以来、今日に至る82年の長きにわたり、米政府主張の「騙し討ち」が主流をなし、アメリカが日本の外交暗号解読他の情報入手で日本の攻撃を事前に察知できていたとするル大統領予知説を主唱する多くの歴史家、軍人、政治家、メディア関係者による「非『騙し討ち』説」との間で不毛の「真珠湾論争」が続いている。その主たる要因は、予知説の主張内容はすべて「間接的証拠」であり、ル大統領が事前察知していたとする「直接的証拠(決定的証拠)」は、何も発見されていないという点につきる。
2021年12月8日真珠湾攻撃80周年BSフジ特別番組で、我が国の近現代史をリードする諸先生方による討論会が行われた際、一人の教授が「ルーズベルトは知っていたなどの陰謀論は、学問的に取り上げる価値は全くない」と述べていたが、これには些か驚きを禁じえなかった。と言うのも真珠湾に関しては、この10年間でル大統領が日本の攻撃を事前に察知していたとする新たな証拠をベースとした書籍/論文(見直しされている書籍を含む)2)が紹介されてきた研究実績を無視しており、82年前の米政府主張である卑怯な「騙し討ち」から一歩も出ていなかったからである。
筆者は2013年5月『そのとき、空母はいなかったー検証パールハーバー』を上梓、文藝春秋より出版、同英文版『NO AIRCRAFT CARRIERS AT PEARL HARBOR- A VICTORY IN WAR INTELLIGENCE』を2019年 22世紀アートよりデジタル出版(アマゾン発売)さらに2020年12月『真珠湾攻撃「騙し討ち説」の破綻―裏口参戦説を糾す』を幻冬舎よりデジタル出版(アマゾン他で発売)した。
上記2冊中にはル大統領自身の「真珠湾攻撃を事前に察知していた」などの記述こそないが(なくて当然)、察知していたことを裏付ける数多の証拠、例えば、1)真珠湾前に日本海軍通信文の部分解読のほか、呼出符号(コールサイン)、艦船航路通報、通信ゾーン変更通知等の解読等で日本海軍全艦船の動向を逐一把握していた事実、2)主力空母と最新鋭艦計33隻が攻撃直前出航、攻撃後全艦船無傷帰投が米海軍主張「単なる偶然だった」ではなかったこと、3)日本外交暗号100%解読と日本のスパイ吉川猛夫の詳細な真珠湾艦艇情報発信電の解読で日本の攻撃開始意図と攻撃日を事前察知したこと、4)山本長官が攻撃前に日本機動部隊に発信した行動開始に関する命令電数通と激励文が傍受解読されたこと、5)攻撃前にヒトカップ湾集結中の機動部隊宛発信「ヒトカップ電」およびヒトカップ湾へ向かう日本潜水艦から発信された「通信ゾーン変更通知」を傍受解読していたことで機動部隊の集結地が「ヒトカップ湾」であると察知できたこと、6)日本から機動部隊宛発信されたハワイおよびミッドウェイ方面の「天気予報電」数通を傍受解読、機動部隊が同方面に向かっていること等々多数の決定的証拠を提示、米側が日本のハワイ攻撃を事前察知した事実を明らかにした。
上記以外にワシントンの野村大使と東京の東郷外相間で交わされた外交電100%解読で、刻々と「そのとき」が近づいてくる緊迫した状況を手に取るがごとく察知、極め付けはマーシャル陸軍参謀総長が攻撃当日の12月7日昼、日本の平和交渉最終第14部を「ワシントン時間午後1時(ハワイ時間朝7時半)にハル長官に手交せよ」との所謂「午後1時手交電」に関し「本傍受電の意味するところ不明なるも警戒せよ」との警戒電報をハワイのショート将軍に発信した。
さらに決定的な事実は、攻撃3日前の12月4日「シカゴトリビューン紙」に軍の最高機密資料「勝利の計画―1千万人動員計画」が暴露掲載されたことである。ル大統領が「あなた方の息子を戦場に送り込むことは決してしません」と機会あるごとに述べてきた経緯から、暴露記事を読んだ市民が「ル大統領の公約は嘘だったのか」と蜂の巣を突くような騒ぎとなった。ところがわずか3日後の12月7日昼、「日本海軍が真珠湾を攻撃中、これは訓練ではない」との臨時ニュースが繰り返し放送されたことで連日の暴露記事騒ぎは雲散霧消、市民の関心は「真珠湾」一辺倒となった。
そして12月8日アメリカが対日宣戦布告、その3日後の11日ヒトラーが対米宣戦布告を発した。当然ながらアメリカも対独宣戦布告を発令、それまで参戦反対が80%の世論を一気に逆転、全国民一致団結して対日独戦争に立ち向かうことができた。まさに1939年7月26日「日米通商航海条約破棄通告」(1937年10月15日のシカゴでの「隔離演説」がその前兆)でル大統領が対日戦を決意した以来の開戦戦略が、見事に結実した瞬間であった。本件は「真珠湾」を契機に生じるであろう「ヒトラーの対米参戦意欲」をより確実とするために、真珠湾直前に英米諜報機関主導で行った謀略工作であり、その最大の成果となった。
上記通商条約廃棄以降、あらゆる原材料ほか工作機械等の対日輸出が制限ないし禁止され、ついには日米戦勃発を視野にいれた対日石油輸出全面禁止を1941年8月1日に発令、11月26日、急遽「暫定案」3)を引っ込め、日本機動部隊出撃後わずか24時間後というタイミングで「ハル・ノート」提示、日本を最終的に追い詰め、開戦に至った。ル大統領が議会で強く訴えたのが「日本は平和交渉中に突如攻撃してきた」であった。であるならば平和交渉中の驚愕の決定、「石油輸出全面禁止」も日本の息の根を止める開戦必定の「恥ずべき蛮行」ではないか。アメリカ主導且異例の民間主体で始まった10カ月にも及ぶ「日米平和交渉」とはいったい何だったのか。再検証が必要である。
そして重大な国際法違反である原爆投下までを正当化した卑怯な「騙し討ち」が、東京裁判では「騙し討ち」の文言は何処にもなく「対米通告時間に余裕を取らなかったため生じた、事務上のミス」として表層的に処理された。機動部隊が6千kmにもおよぶ長駆航海で米太平洋艦隊基地を攻撃するという史上類なき国家の存亡を掛けた一六勝負に出た背景と、誰もが航海途上で発見され失敗すると想定された奇襲が、日本機の最初の爆弾投下まで発見されることなく、奇跡的大成功(アメリカにとっては大失敗?)となった背景調査を検察はなぜ看過したのか、この点も明らかにする必要がある。
戦後キンメル長官とショート将軍の遺族が名誉回復運動を起こし、1999年5月上院で、2000年10月下院で関連法案が可決された。真珠湾惨禍がキンメル、ショート両名だけの責任でないことが証明されたわけである。当時のクリントン大統領は署名を拒否したが、何か月も議論した末の両院可決の意味は重大である。戦後55年議会がワシントン責任を認めたのだ。
以上の項目を中心に毎月一回11回にわたって重点ポイントを取り上げて報告していくが、いささか過激とも思える本論稿タイトルの趣旨にご納得頂き、本論争の最終決着、すなわち日本の名誉回復と合わせて先の戦争の総括、特に攻撃1週間後、岸信介が「世紀の愚行」4)と称した真珠湾先制攻撃に関する厳正なる評価が行われることを切望する次第である。
1)報告者の人物像については、「幻冬舎『表現者の肖像』白松繁」の検索で閲覧可
2)・ロバート・スティネット著『DAY OF DECEIT -The Truth About-FDR- and Pearl Harbor』2000,SIMON A SCHUSTER, p115,p191,p301.p302,p271
・ハリー・レイ、杉原誠四郎共著『Bridging the Atomic Divide-Debating Japan-US Attitudes on Hiroshima and Nagasaki』2019,レキシントンブックス、Appendix B、p260
・長谷川煕著『自戒―ルーズベルトに翻弄された日本』2018、WAC社、p3
・原勝洋著『インテリジェンスから見た太平洋戦争』2021,潮書房光人新社、p115
・フレッド ボーチ、ダニエル・マルチネス共著『Kimmel, Short, and Pearl Harbor-The Final Report Revealed』2005,Naval Institute Press、p163,165
・チャールズ・タンシル著、渡辺惣樹訳『裏口からの参戦(上)(下)』2018、草思社(上巻)p145,p182,p214,p245、(下巻)p241,p456
・ウィリアム・スティーブンスン著『A Man Called INTREPID』1976,The LYONS PRESS,
・同上日本版寺村誠一・赤羽龍男訳『暗号名イントレピッド・第二次大戦の影の主役』1985,早川書房
・コーデル・ハル回想記『The Memoirs OF Cordell Hull Vol-2』Full text of “The Memoirs OF Cordel Hull Vol-2“ 1/952ページ
3)この「暫定案」は最初から日本に提示するつもりはなく、すぐに引っ込めるつもりで作成したという有力な説がある。杉原誠四郎著『日米開戦以降の日本外交の研究』(亜紀書房 1997年)参照。
4)太田直樹著『太平洋戦争・日米開戦前夜 世紀の愚行 日本外交失敗の本質 リットン報告書からハル・ノートへ』2020、講談社文庫本 p332
【著者書籍】
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